こんばんは、さくらん坊(@ok_sabou)です。だらだら長い自分語り回。すみません。
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6月が近付くと、考えてしまう父との関係
もうすぐ、父の日ですね。
母の日に比べると相変わらず陰が薄い気もしますが、イベントとしては立派に幅を利かせているこの日。
6月の街中、何が何でも父の日のプレゼントに結びつけて来ますよね。これは、母の日もクリスマスもバレンタインも恵方巻きも、ぜーんぶ同じ事ですが。
みなさん、何か計画はしていますか?ごはん?贈り物?手紙?
近くにいても、離れていても。日頃の感謝を伝えるこのイベント。
私は、実家が飛行機の距離なので、毎年ちょっとした贈り物を送っています。一応、メッセージカードを添えますが、「ありがとう」とかはあまり書けず。
大抵が、「お母さんと仲良く」とか、「健康第一で」とかの、少しそっけない感じになります。
照れも勿論あるのですが、私の場合はちょっと、ううん……違う理由がちらほらと。
遅れてきた反抗期とでも言いますか。
思春期は平気だったのに、というか割と仲良い方だったのに、どうも、私の出産を機に変わってきた気がします。
正直、学生時代や社会人の頃は割と素直に感謝を伝えられていました。会話もスムーズでした。
今でも帰省時など会話は普通にありますが、昔のようにスムーズにいかず、なんとなく母や子供たちを間に置いて、間接的な会話にしてしまいます。
ラインのやり取りもたまにありますが、私の文章が変に丁寧になってしまったり、逆にはしゃいだ感じのスタンプのみで済ませたり……それがまた隙間を感じさせると勝手に落ち込みます。笑。
この変な空気、当然解決したいのですが、これがどうにも難しくて。何故こうなってしまったのか。
自分なりに考えて、分かっている事はというと。
今さら気付く、父との性格の不一致
父と、どうにも性格が、と言うか、考え方が合わない。(合わなくなってきた、が正しいかな。)言ってしまえば、これなんですがね。
昔は、家族で性格の合う・合わないなんて、考えたこともありませんでした。
だって家族だし。
でも、考えてみると、家族といえど一人一人違う人間の集まりなのだから、それは色々ありますよね。
家族だからこそ、こじれると厄介なことも多々ある。
小さな頃の、母と娘
振り返ってみると、幼少期。
まずは母との話。
私は一人っ子で、基本的に父は仕事で家におらず、常に母と2人でした。
母も働いていましたが、私の帰宅に合わせて戻り(自営でした)、夕飯も2人で食べていた記憶です。
食事を終えたら、絵を描いて見せ合ったり、漫画を一緒に読んだり、母の好きな音楽を一緒に聴いたりして、寝るまでまったり過ごす毎日。
この頃のことを母に聞くと、いつも、「さくらん坊は一人遊びが好きだったよ。勉強とかも勝手に済ませて、ずっと本読んだり絵を描いたり。手の掛からない子だった」と言われます。
自分でも覚えているのですが、とにかく、一人遊びが好きだったんですよね。
遊び、というより、空想の世界で生きて居た感じです。読んだ本の続きを頭の中で膨らませて、1人何役とこなして遊んでいました。
母との関係は昔からあまり変わらず、大抵は母が聞き役で会話が弾み、盛り上がって話が終わらないこともしばしば。
私が一方的に怒って喧嘩になることはあれど、まあ長くて1時間ほどで仲直り。小さい頃からずっと、友達のような感じです。
今になって思えば、母もかなり私に合わせてくれていたのでしょうけど……。
私が息子たち相手に同じようには、できない(断言できちゃう)。だって、部屋中走り回っての追いかけっことか、かくれんぼとか、10分が限界です。書くと短い。。そこは性別の差も、多少は、あり…いや、私の不器用さ故にですかね。ごめんよ、息子ズ。
まあ、母はいくつになっても、ほわっとした少女のようなところがある人なので!幼いけれど口達者な私とのやりとりも、純粋に楽しめていたのかもしれません笑。
小さな頃の、父と娘
その一方、父との話。
平日は上記の通り、ほぼ接するタイミングはなく。多分たまには居たのでしょうが、あまり記憶にもなく。
仕事が休みの週末は、父の趣味がアウトドアということもあり、山に川に海にドライブにと、父の提案で出掛けました。
ここらへん思い出は、本当に溢れるほど。もちろん、毎週出かけていた訳ではありませんが、子供心に特別な思い出として鮮明に残っています。
こう書くと、まあ、子供思いで働き者の父なのですが。それもそうなのですが。
うちの父は、昔から短気が服を着ていると言われるほど、気が短いのが最大の欠点。まさに瞬間湯沸かし器。しかもキレる理由がかなり不透明。。
その欠点が、いつも影のように付きまとう。
家族で出かけていても、何かしらのきっかけでキレはじめる父の姿を必ず見ていました。そしておし黙る、いつもは呑気な母の姿も。
なぜかあの頃は、キレる父よりも黙ってしまう母が悲しくて、嫌でした。理不尽にキレられてるのに何も言い返さないなんて!と子供心に思っていたのかな。
だって、例えば、出掛けている途中に見掛けたお店に寄ってみたいと言うだけでみるみる不機嫌になって、そのうち自分の怒りにキレる、ような感じでした。リフジン。。しかも日常茶飯事。。。
どうやら、父の思い描いている計画と違うことを言われるのが腹立たしく、そして言われると寄らないわけには行かなくなる(父の中で)のが嫌だったようです。それならば別行動でいいのに。と、今ならば思いますが。
父なりの家族サービスは、いつもこの調子でした。
キレる父に黙る母。
大きくなってから聞いた話では、そんな父に慣れていた母の、あれ以上興奮させないようにする最善策だったようです。
だんだんと成長するにつれ、キレる父への恐怖というよりは、「あれ?父、なんかキレすぎじゃない?」と言う違和感の方が大きくなりました。
ですが、父はキレると勝手にどこかへ行くし(ヒートアップして手をあげそうになるから離れていたらしい)、残った母と私、2人で少し愚痴って終了。
そう深刻に考えることもなく日々を過ごしました。
親元を離れ、いつの間にか思い出補正していた父の性格は幻だった
これも、私が進学を機に上京してからは、たまに母からの電話で聞くくらいになり。
休みで帰省するくらいの短期間では、そういった場面に遭遇することもなくなり、父も歳を重ね丸くなったものと勝手に思っていたのですが。
そんなことはなく、しっかり健在。
いやむしろ、年を重ねた分、変なところで強度が増している感すらあったことに驚愕。
それが判明したのは、私が出産後、しばらく里帰りしたタイミングでした。
長く居ると見えてくる、やっぱり父は父だったという事実。
訳の分からない理由で、また母にキレているじゃありませんか。呑気な母も強くなり、父がちょっとキレたくらいでは気にも掛けない様子が、唯一の救いでした。
そうか、この瞬間湯沸かし器は現役だったのだね……不憫な母よ……。私が離れてから、ずっと1人で対応していたのかと思うと、産後の情緒不安定さも手伝って、少し泣けました。
でもね、泣いてばかりはいられなかったのです。
百歩譲って大人はいい、母や私は慣れているし。気にしない対処もできる。
問題は、息子でした。
父のキレる姿を、息子には見せたくなかったのに
産後の里帰り中はあまり問題なかったのですが、その後、長期休みの帰省のたび、じわじわと気になって仕方なくなってしまいました。
父の、そのキレすぎる性格が。
孫の顔は見せたいし、帰れば2人ともすごく喜んでくれて、あれやこれや、本当によくしてくれる父と母。父も、初めての男の子相手に、それはそれは猫可愛がりしているのですが。
何かしらに急にキレるのだけは、どうやっても変わらない。
基本的に自分の思い通りに事が動かないと、機嫌の悪くなる性格。
可愛い孫の相手なら、なんでもやりたいとばかりにスタンばってくれていますが、それまで子育てに携わっていな父に、孫の世話がそう簡単にできるはずもなく。
あたたかく見守りたい気持ちもありますが、危なっかしくて、つい、私も母も口を出してしまう。そして父がキレる。わかりやすく、そんな事が増えて来ました。
そして、息子もだいぶ成長して言葉もわかるようになって来た頃、初めて父が感情のままにキレている姿を目にしました。
また何らかの理由で、母だったか私だったかにキレて大声をあげている姿を、です。
びっくりしていたな。その急な出来事と、言葉遣いと、場の雰囲気に。
それまでも、お恥ずかしながら息子の前で私自身の夫婦喧嘩を見せてしまったことはあったのですが、怒鳴り合うようなものではなかったので、大人の男性の怒鳴り声を初めて耳にして……
キョトンとした表情でどうしたのか尋ねる息子に、あろうことか「おじいちゃんは、皆が嫌いだから出て行く!」と捨て台詞まで吐いて出て行ったのでした。
これはもう、私にとっては、忘れられない出来事となりました。
まだ2歳過ぎたばかりの息子が覚えているかどうか定かではありませんが、忘れていてほしいと思っています。
確か、夫婦喧嘩など大人の言い争いを子供に見せるのもれっきとした虐待でしたよね。まさにそれ。あれ、じゃあ私もか。いつも父母の言い争いを見てたから。
話を息子に戻しまして。
言われた息子、まあ怒りの対象ではなかったし、その時は意味も分からなかったのか、あまり気にしたそぶりもなく遊び続けていたのだけが幸いでした。
思い出してしまった。本当は嫌だった、理不尽にキレる父のことを
この出来事以来、父に対して、自分が幼い頃から思うところがあった部分が、漏れ出て来たような状態になってしまいました。
「ああ、そうだった。私が小さい頃も、そうだった。」
「何も変わってなかった。そして、たまにしか会わない息子の前でまでこれか。」
一度漏れ出すと、小さい頃からの一滴一滴が急に大集合して川になって溢れてしまった。荒れ狂って氾濫してしまった。
その出来事から少し過ぎた今となっては、小川くらいではありますが、なかなか流れが止まらないのです。
覆水盆に返らずとはよく言ったものですね。すごいよ太公望。
日常生活の中で、理不尽な怒りをぶつけられる事はままある事です。それは、子供だろうが大人だろうが関係なくあります。
社会人になっていれば特にね。そうじゃなくても、道ですれ違っただけでイチャモン付けてくる人とかいるしね。
でもそれを、身近な大人で知って欲しくなかったのです。ましてや、息子にとっては大好きなおじいちゃんから(基本は猫可愛がりされているから好きなのです)、感情のままキレる大人の姿を見せられるなんて。
できる事なら、息子の記憶から消し去りたい出来事の一つです。(そう、これは一つにすぎない。その後もちょくちょくキレている姿を見せられているから……。)
複雑な感情、父と娘の今
でも、難しいところで、「それはキツイ。お父さん嫌いにもなる!」「もう孫の顔も見せなくていいんじゃ?」とか言われたら、そうではない。そこまでではない、と思ってしまう。
だから家族って難しい。私はこの歳になっても、父に対する愛情も憎しみも近いところにありすぎて、うまく対処できていません。
前述の通り、遊んでもらった楽しい思い出もたくさんあり、娘として、大事に思われていると感じることも多かったから。というか、キレている時以外は常にそうだったから。
だから一筋縄ではいかない。だから私と父は、「ちょっと気まずい」の状態なのです。
毎回、今回の帰省では嫌な気持ちにならずに済みますように!と半ば祈りながら向かい、玉砕して帰ってくるの繰り返し。
このくらいのイザコザって、家族ならよくある事なのでしょうか。少なくとも、私の周りではあまり聞かないんですがね……。
穏やかな、穏やかな家族を夢見ていますが、それは多分今更難しい。折り合いをつけて、やって行くしかないようです。今のところ。
改善策は、模索中。
せめて、私が築いている途中の我が家は穏やかであって欲しいけれど、今の所、それも程遠いのが現状です。そもそも旦那はほぼ家にいないしね。
話を聞かない子供に!宿題しない子供に!片付けない子供に!声を荒げてしまう時、「あれ、今、父のように怒鳴ってないか?」と我に返って自問する毎日。
ですが……
怒りの声やその恐怖で、子供をコントロールしようとしない。無駄に怯えさせない。
これだけは、私のルールとして心に刻んで頑張ります。頑張るんです。自然にはできないから、頑張る。
そんなの、受け継がない、受け継がせない。
穏やかな母、難しいけど、精一杯目指して頑張るからね。息子、もう少し、母の話も聞いてくれよ。たのむよ〜
おしまい。
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